【金より大事】士農工商的な観点からの、「人は何かにのめり込みたい」
私が3年ほど前からハマっている曲を発表します。
この曲カバーなんですけど、(本家も知ってる人、いるのか?同世代はかなり厳しいとおもいますが・・。)歌い手は結構昔に解散したそうです。
私は結構音楽を聞くのが趣味で、しかも誰も知らない曲を発掘するのが好きです。
昔は周りに、(昔って学生の頃)たくさん音楽好きがいて、その中でちょっと変わった曲好きだとかいって注目浴びたりして、得意になってた。
社会人になって、10年近く経って気づけば「最近の曲知らんわー」が恥ずかしいセリフでなくなった。
それでも、なんかふっと最新を漁りたくなるのは自分が「なにかに」のめり込みたいからなんだろなって思う。何かにのめり込んでる人たちがただただ羨ましいんだと思っているんだろうな。
って、センチな感じの始まりで、「人は本当は何かにのめり込みたい」って話。
っていうのを、落合陽一さんの2018年コロナ前ですので少し古いんですが、最近それを読んで思った次第で書き殴ります。シンプルにメーカーでサラリーマン従事している私には色々刺さった。
なお、Kindle Unlimited参加してたら無料で読めます。
- 士農工商について
- 付加価値を産むか商人をするか、それともエセ政治家か
- 「金」か、それとも「やりがい」か
士農工商について
落合さんは私の年代で言うと1個下で、めちゃくちゃすごい人。
私たち世代、30代になるとビジネスみたいなところでもスーパースターが出てくるわけです。
20前後の頃野球選手が年俸1億とか普通に貰ってる傍ら、バイトで時給800円みたいな生活送っていた私たちの、唯一の希望は、将来はビッグになるからって根拠のないやつだったと思う。
私の場合はその根拠のない自信が仕事だった。スポーツ選手にもなれないし、ロックスターにもなれないけど、以下3つはめちゃくちゃ自信があった。
- そこそこいい大学を出た地頭。理系出身の論理思考。
- コミュニケーション能力。バチくそ友達作る。
- 成長能力。誰よりも前を見て歩く強さ。
そんな感じで、自分仕事向いてるやろなって根拠ない自信みたいなんで、社会人になった。
これがあっているのか、いないのか、この年頃になると答え合わせが始まる。
最高峰の人は実は20代前半でチラチラ名前が出始めていて、それに気づかないまま・・。顕著になるのが30中盤。自分がその程度と思い知る。
話は戻って士農工商へ
ぐだぐだ書きましたが、落合さんを尊敬してることに改めて気づき、本を読んでみた。
そこに書いてあることは、結構、刺さった。
その刺さった定義の1つに士農工商への回帰という提案。私も大賛成だが、落合さんの定義を理解してほしい。
士・・・政を司るもの。政治家、官僚、経営者。(だったと思う)
農・・・百姓。百の生業をもつ人。明治時代版「フリーライター」
工・・・生み出すもの。クリエイター、技術者、もしくは芸術家
商・・・商人。営業。投資家。
商はゼロサムゲームで何を生み出していないけど、ピケティの法則(実学統計的な観測的法則)では資本主義社会では、商に属するものが圧倒的に稼いる。で、それはえらい。
みなさんそれは理解してほしい。無意識に稼いでるやつはえらいと感じちゃってるはず。
- 投資で稼いだ億り人。含み益3000万円でもえぐい
- 年収1000万余裕で超える商社のエリート
- youtubeやってオンラインサロンやってる人。
- 広告代理店勤務でインスタやってるやつ。
どんなハゲでも育毛ネタにして年商2000万円とか言ったらちょっとこいつすごいかもとか思いますよね?一方、そいつが合コンいたらバカにするでしょう?結局、人間どんなけ稼いでる、なんっす。
でも、その商にあたる人よりも、付加価値を産む人「士農工」が本当はえらいという価値観を資本主義的(欧米的)価値観から離脱してやっていくべきではないかと落合さんは言っているわけです。
そもそも何か生み出す人が偉いという価値観は東洋的な価値観では絶対的に昔から存在していて、その回帰で行けるのではないか?といっている。
個人的には世の中結局経済が上手い人間が、それこそ織田信長がそうであったように、古今東西変わらないのではないかという現実的な考え方でいます。
でも、どこか、井深大さんや横井軍平さん的に技術を楽しみ生み出す人間が尊敬される幸せな世界っていうのは、私はロマンとしてあっていいし、本気でその実現を考えたい。
というようなロマンに思いを馳せる人は、一度読んでみてください。
付加価値を産むか商人をするか、それともエセ政治家か
つまり、私たちはどこかですごいことをしたいと思っているはずなんです。
まあ、成果を横取りする奴もいますが、例えばスティーブ・ジョブズとか。でも彼もどっかで技術を理解してきれていない負い目があったんじゃないかな。って思う。
上に行けば行くほど、広範囲を見る人間であればあるほど、技術の一番面白い、めちゃくちゃマニアックで、指一本の動きで変わるような技能とか、コンデンサー一つで変わってしまう電気回路とか、そういうの会話する時間が減っていってしまう。
それがロマンで、でももっと大きなことがやりたくて、もがいて、我慢して、プレゼンが上手くなって、気づけば自分の道がそれている。
- そう、それが我々日本人。メーカー勤務のサラリーマン。おいダサくないか?
- いつの間にか付加価値を埋めない人間になっていないか?
- いつの間にか給料と出世、社内政治に必死になって、何も生み出せない存在になっていないか?
こういう疑問が日本人の根底にある「哲学」に反して自問自答を繰り返し、繰り返し、繰り返し続け、麻痺しつづけてるんじゃないか?
いいのか?それで?
スティーブ・ジョブズも、iPhoneを発表するとき、どっか心の奥底で「結局作ったん俺やないしなー」ってあったかもしれない。だからこそ、彼全てを自分で決めたがったのかもしれない。
知らんけど。
「金」か、それとも「やりがい」か
私は正直海外で仕事を始めて6年。金は結構稼いでいる。
それこそ大学の先輩の倍はすでに給料貰ってるし、それを資本金にして投資で700万の含み益が出ている。まあそんなんもんですよ。世の中って。
でも稼いでいる人ってのはもっと貰ってて、商社で海外派遣されている人は私の3倍貰ってるし、外務省の人は2倍貰って、多分子供の教育はめちゃくちゃ高度。上を見ればキリがない。
それで自分の目指す方向はいいのかと悩む。多分ダメなんだろう。今年私も年男だ(早生まれ)。
例えば年収が2000万円でも満たされることはない。1億でも幸せにならない気がする。
私たちが一番にこだわりたいことは自分が何をして、何を生み出したのか?これが一番楽しいのではないか。この対価として稼げるのは夢がある。めっちゃある。
例えばめっちゃ偉い人に土下座して、お尻差し出して、100万円稼いだとして充実感あるか?
我々は何か生み出さなければいけない。これが生産性だ。夢だ。楽しいことだ。技術だ。芸術だ。それが笑顔になるんだ。
なんてセンチな気持ちになりながら久々のブログを締めようと思います。
ではまた!